岩本 真一
- 専門分野
- 日本近現代史 / 思想史
HISTORY
京都には平安神宮や京都三大祭(葵祭、祇園祭、時代祭)など、歴史的な遺産が数多く残っています。それぞれの歴史的背景を探るとともに、講義を受けるだけでなく、実際に現地を歩いて体感するフィールドワークを行います。
歴史を研究するうえで史料の解読を避けて通ることはできません。しかし、当時の文書を読むためには、くずし文字の表記ルールや、時代ごとの様式を理解することが必要です。この授業では、江戸時代の史料を実際に読み解きながら、意味や内容を正しく解釈できるようトレーニングを行います。
FIRST
3専攻の分野をひと通り学ぶ
1年次は専攻に所属せず、「歴史」「文学」「社会」の基礎を学び、分野の特長や研究手法の違いなどについて理解します。文化を構成する要素と現代社会の成り立ちを知り、自分の興味に基づき研究したいテーマを探します。
広い知識とことばから、自分を知る
ことばを通して自分や他者への理解を深めます。研究に必要となる、「興味があることを掘り下げテーマを設定する力」、「過去の研究や現場を調査する力」、「自分の考えを論理的にまとめ発表する力」を基礎から身につけます。
SECOND
専門知識の理解を深める
歴史専攻では、日本の古代・中世・近世・近代の歴史研究を通じて、歴史学の観点から自他の文化を多元的に捉えていきます。地域史・社会史・民衆史という三本の軸を中心に据え、日本の歴史を総体として理解する眼を養います。
学外に飛び出して学ぶ
各専攻で学び獲得した知見を、実際にフィールドへ足を運んで検証します。6ヶ月間、キャンパスの外で異なる文化や社会に身を置いて、多様な価値観に触れることで実感を伴った知識を得、深めることができます。この経験が新たな視野となり、世界を広げ、独自の発想につながっていきます。
THIRD
調査結果を検証する
プログラム終了後は、キャンパスに戻って調査した内容をふりかえります。現地で収集したデータや資料を整理し、報告書にまとめます。教員や仲間に研究成果を報告し、指摘や議論を通じて、その理解をさらに深化させていきます。
ゼミ形式で調査技法を学ぶ
少人数の演習形式(ゼミ)で同じ分野に興味を持つ仲間とともに、自分の研究テーマを掘り下げていきます。
FOURTH
自分の研究してきたテーマを他者に伝わるように論理的に構成し、卒業論文として発表します。論文執筆に取りかかる際には、担当教員が親身になって指導にあたり、構想を練るところから文章の校正まで、一対一でアドバイスを行います。
京都の地域や寺社を調査する
古文書や文学作品に登場する京都の地域や寺社に足を運び、貴重な資料を見学し、現地を歩いて調査します。そして、現代に残る寺社や地域社会と歴史・文学の繋がりも考えます。
近現代の京都を調査する
京都は言わずとしれた古都ですが、首都機能が東京に移った後も、政治的・思想的・歴史的な出来事がいくつも起こっています。それらの詳細を、フィールドワークで明らかにします。
京都の江戸時代を調査する
江戸を本拠とした徳川幕府にとっても京都は重要な都市でした。歴史と文学、双方からのアプローチで、江戸時代の京都に迫ります。
明治初頭の京都府政と遊所
本論文では明治初頭における京都府の遊所に関する政策について、その方針や展開過程などを検討し、遊所と京都府政の関係を明らかにすることが第一目標である。また、そこから見える遊所の動向や内部構造にも可能な限りせまることも目指している。
第一章では、明治三年閏十月の京都府による島原差配体制の廃止と遊所への税銭賦課を、京都府政の全体的な方針である勧業策との関係から考察した。第二章では、明治四年十一月の遊所への療病院税銭の賦課と検黴制度導入を検討し、医療の近代化のための療病院と遊所の関係を述べている。また、京都における本格的な黴毒検査のおこりである療病館についても検討を加えている。以上の第一章、第二章をふまえて第三章では、明治五年十月の「芸娼妓解放令」に対する京都府の対応を検討し、京都府がどのように「解放」を捉え、遊所を継続させようとしたかを考察している。
播磨国矢野庄から見る南北朝期 における民衆の動向
南北朝期の東寺領播磨国矢野庄における百姓たちの動向には、東寺や在地の役人たちからの支配によって生じる影響と百姓たちの主体的かつ積極的な動きによって生じる影響の2つが大きく関わっていた。これら2 つの影響が生じる要因の事例として、本稿では寺田悪党の侵攻、十三日講事件、惣荘一揆を取り上げている。それぞれの事例では、紛争や支配層からの圧力がかかる場面で百姓たちの惣結合としてのつながりが強まり、次第に自治的な動きが見られるようになるとそれが乗じて一揆などにも発展していく様子が見られる。これの繰り返しによって惣結合はさらに強化され、それにつれて支配層との関係性も変化していったのである。
本稿は以上のような百姓たちの動向について、矢野庄の支配構造や荘園で起きた事象との関連性、それに伴う荘園内での百姓たちの立ち位置の変化を考察していくものである。