VOICESfrom SEIKA
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在学生
人文学部
夢は見つけなければならない事じゃない。
別に夢は無くても大丈夫。 -
在学生
人文学部
あせらずゆっくり、だれかの作ったにせものの夢につられないように、、、。 -
在学生
人文学部
なくてもいいと思います。今を、未来をどう楽しく生きるか考えてればいいと思います。 -
在学生
人文学部
夢が見つからなくても時間は進んで行くのだから、見つからなかったときは諦めるしかないんじゃないか。自分はそうだった。 -
在学生
人文学部
仕事はやりたいからするものではありません。誰かがやらなければならないからするものです。自己実現のために仕事が用意してあるわけではありません。 -
教員
人文学部
夢を無理やり見つける必要はないんじゃないかな。生活や仕事をしていく中で自然に見つかることがあります。やってもいいかなと思う仕事や生き方に出会うための場所や機会を探しましょう。 -
在学生
人文学部
夢はみつかってなくても大丈夫だと思います。私自身絶対こうなりたいという職業とかはないです。入学した時はあったんですけど、今はあやふやです。卒業するまでにはっきりさせようと思います。 -
教員
人文学部
江戸川乱歩の言葉に「夢は現(うつつ)、現は夢」という名言があります。現実に直面しているくだらない、つまらない事さえもが幻影の果てに夢まぼろしになるんです!時には非現実に浸ってうつつをゆめに変化させてみてはどうですか。 -
在学生
人文学部
私も高校生の時、将来への夢なんか無くて、周りを見ていてすごく焦ってました。でもだからこそ大学行って見つけたら良いと思いますし、別に見つけられなくてもいいと思います。夢の規模なんて人それぞれですから、大きい夢を叶えるでも、小さい夢をたくさん叶えるでも、大学だけで留めず探し続けたらいいと思います。^_^
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教員
人文学部
結論から言うと、夢は必要ないと思います。何かに向かって歩みを進めていくのであれば、その「何か」は目標あるいは計画、見通しという言葉の方がしっくりくるかもしれません。「いつかアラブの大富豪のような金持ちになりたい」みたいな現実味のない夢を語るより、現実的に見えている目標のために一歩一歩確実に歩いて行くことの方が、何倍も意味のあることだと私は考えます。 -
在学生
人文学部
別にいいんじゃないですか、夢が見つかってなくても。
何か夢を持って大学に入るのはいいと思いますが、別になくても不安にならなくてもいいと思います。
私はこの大学にたまたま入った身なのでまだ夢は見つかっていませんが、一日一日の行動がいずれ何かに繋がって夢になると信じて学校生活を送っています。
一番重要なのは夢を見つけることではなく、たくさんの体験や経験を積むことが大切だと私は思います。 -
教員
人文学部
夢って何でしょうか。将来なりたいもの?目標?あこがれ?
質問者は「やりたいこと」「興味のあること」はもう持っている、と言います。それで充分ではないでしょうか。高校生の少ない経験、限られた知識のなかから選んだ「なりたいもの」で一生を決める必要はないし、趣味=仕事にする必要もない。趣味で時間を使うために仕事を選ぶ、という選択肢だってあるはず。まずは「やりたいこと」「興味のあること」を突き詰めて、その先に、見えてきたものがあればそれを「夢」にすればいいのでは。 -
教員
人文学部
子どものころはやりたいこと、なりたいものがいっぱいで、夢みることも多かったでしょう。年齢が上がるにつれ、夢は薄れてしまう。そんななんとも言えない焦りや喪失感があるかもしれません。でも、夢をみて楽しく過ごしていいのは子どもだけです。
大学で見つけるのは夢ではありません。あなたの将来です。今、興味のあること、好きなことは、この先の人生で強みとなるのか、仕事にしていけるのか、趣味として人生に華を添えるものにするのか。それを見極める場所が大学です。
精華にはさまざまな人がいます。多くの人と出会って話をすること。人とのつながりのなかに、あなたの見つけたいものがあります。 -
教員
人文学部
きつい言い方になるかもしれませんが、「『夢』がなければ生きていけない」とか、「『夢』がなければ大学に行く価値がない」ということはない、と思います。たまたま「夢」を抱いたり、それに向って突き進んでいる友人知人がいたとしても、うらやむ必要は全くありません。「夢」のある人生の方が、「夢」のない人生よりも優れている、という思い込みにも根拠はありません。たとえ「夢」がなくても、あなたの人生はあなたの人生であって、他人と比べる必要はありません。ご自分が今何をやりたいのか、何をすべきなのかをよく考えて進路を考えましょう。この決断の責任は、最終的にあなたが負うことになることだけはお忘れなく。 -
教員
人文学部
いま「興味があること」や「好きなこと」があるなら、まずは、それでいいのでは? むしろ高校生から大学生にかけての時期は、その「興味があること」や「好きなこと」の幅や深さ、奥行を広げる時期のようにも思います。また、そのためには、あえていままで興味がなかったことや、嫌いなことにも触れておく必要があるかもしれませんね。そして、自分の考えや経験の幅を時間をかけて広げていくなかで、単に興味があること・好きなことを越えた「将来の夢」に出会えるかもしれません。ちなみに「将来の夢」も、若い頃と年齢を重ねてからでは、いろいろと変わってきます。50歳を過ぎたいま思う「将来の夢」は、若い頃のそれとは大きくちがっていますね。 -
教員
人文学部
作家の村上春樹さんはあるエッセイにおいて、人生で重要なのは「小確幸」だと述べています。「小確幸」とは、「小さいながらも確かな幸せ」の略です。大きな夢を持って、まっすぐに生きていくことができる人はそれでいいでしょう。でも私たちの多くは、それほど強くはありません。そのような私たちにとって、日々の生活で感じることができる「小さいながらも確かな幸せ」こそが、明日への糧になるのではないでしょうか。「学校帰りのコンビニで初めて買ったアイスが美味しかった」「いつも気になっている人がこちらをみて微笑んでくれた」「友達と喧嘩をした帰り道に虹が出ていた」などなど。それは、大人になっても変わりません。「アイス」が「ビール」に代わるくらいのものです。「私」の人生は「私」だけのものです。他の人のことは気にせず、自分が幸せに思うことを楽しみませんか? -
教員
人文学部
“夢”とは、実現可能か否かのレベルに差はありますが、とりあえず自分の未来への欲求をファンタジックに言い換えたことばと解釈しておきましょう。そして夢は一つとは限りません。いくつあっても良いのです。夢がないからといってそれを悲観する必要はありませんが、夢があれば、それは自分の生きる力を励ましてくれるものとなるのでしょうね。黒人差別問題を闘ったキング牧師の有名な演説“I have a dream.”は心に響きます。
それでは回答ですが、“夢”というものは何もしないで見つかるものではありません。いろいろな知識を得、いろいろな経験をする過程で見つけられるものでしょう。その過程に早い遅いはありますが、少なくとも戦争や貧困、災害による被災者など、この世の中に困っている人がいることを他人事でなく知ったとき、“夢”よりもなによりも自分がなすべきことを考えることになるでしょう。 -
在学生
人文学部
私もやりたいことが見つからず、高校3年の夏にようやくやりたい夢がみつかりました。それまで理学部に行こうと思い勉強してましたが全て放り捨てて独学で文学部を目指し文転しました。元々成績は良くなかったのもあり志望校には落ちましたが今は精華大学で楽しくやっています。
好きなことや嫌いなこと興味があまりないことをいくつか挙げてみて「それを仕事としてやれたとしたら長く続けられるか?」「AとBを比べたらどっちが興味あるか」など自問自答を繰り返して「人生掛けるとしたらこれが一番マシかな?」というのを見つけてそれを夢にしてみたらどうでしょうか?
その仮の夢を追っているうちの本当にやりたいことが見つかったら今追いかけているものに一旦区切りをつけてそっちを目指してやり直せばいいと思います。その時に周りに「今からそれはやめとけ」とか言われたとしても自分が本当にやりたいのなら気にせず突っ走ってから後悔すればいいと思います。
夢が見つかることを祈ってます。 -
教員
人文学部
まず、せいいっぱい背伸びをしてみること。これから大学生活を迎えるみなさんに、お勧めすることです。
世界には、大きな仕事を成し遂げた人たちが多く居ます。大学では、さまざまな分野で、そういう仕事について学ぶ機会を持ちます。そのさいに、これを自分と関わりのないこととして見るのではなくて、自らのテーマとして、これに取り組んでみることです。
たとえば、もし、あるテーマに惹かれるのであれば、その世界を切り開いた人が書いた書物を読んでみましょう。その解説や入門書ではなく、できるだけ原典に近いものを手に取ってみましょう。もちろん、理解することは容易ではありませんが、苦心しているうちに、同じ人間として問題を共有していることにふと気付くことがあります。その時、これまで遠いものであった書物(仕事)が身近に感じられるはずです。すくなくとも、私にとって勉強するとはそういうことの繰り返しでした。
そのためには、自分は変わることができる、成長できるということを信じ続けて諦めないことです。私にとって「夢を持つ」というのは、そのようなことだったように思います。 -
教員
人文学部
「夢をみつけなければならない」と思い込んでいませんか?たしかに、「夢」に向かってがんばっている人はキラキラして見えます。羨ましく感じることもあるかもしれません。
けれど、そもそも「夢」って何なんでしょう?少なくとも、他人に与えてもらうものではないはずです。そして、どんな「夢」をもっていても、あるいは「夢」をもっていなくても、他人にとやかく言われる筋合いのものではないと思います。
「これは夢というほどのものじゃない」とか、「仕事にはつながらない」とか、「夢のない人生なんてつまらない」とか、「夢」にまつわるいろんな固定観念を、いったん捨ててみてはどうでしょう。みつけなければならない、という思い込みから解放されれば、焦ったり不安に感じたりする必要はなくなります。
それでも「夢」がほしいというアナタ。それはもう、「夢を探すことが夢」なのかも。
大学の学びでは、自分のちょっとした心構えひとつで、これまでとは違った世界が見えてきます。大きく価値観の変わる体験をすることもあるかもしれません。たぶん、「夢を探す」という「夢」を叶えるにはうってつけの場所ですよ。 -
在学生
人文学部
夢を見るだけなら誰にでもできる。だって、寝てても夢は見れるんだから。でも、見るだけだからすぐ忘れちゃうかも。
「夢を叶えたい」は、これと少し違う。もし、そういう夢が見つかったら、ちょっとじゃそっとでその夢を諦めようとはしないってことだ。
ところで、君の悩んでいる「夢が見つかっていない」は、見つけようとしてるけど、見つかっていないってことなのかな。だとしたら、すごくいいことだと思う。だって、夢を見つけようとする君の意思が伴っているから。自分の意思が伴っているってことは、簡単には諦めないぞってことにつながるんだ。
君の悩みは、その意思をどこに向けてたらいいのか分からないっていうことだけ。要は、君の意思が収まるような手頃なサイズの夢の箱、「夢箱」を見つけるだけなんだ。
そのために大切なのは、君の意思と夢箱のサイズがきちんと合ってるかどうかを確認すること。だから、その箱の見た目が立派かどうかは重要じゃない。その夢箱に君の意思が伴っていて、程よく収まっているかどうかが大切なんだ。このことが夢を簡単に諦めないってことにつながるからね。
だから、まずは自分の周りを見渡してみて、手頃なサイズの夢の箱があるのかどうかを探してみてはどうかな。もし箱が見つかったら、それを誰かに言ってみることも大事だよ。
スナフキン -
教員
人文学部
あなたが「夢」と言っているのが「一流企業に就職したい」とか「探検家になりたい」といったことなら、それは夢ではなく願望です。「今晩は鶏の唐揚げが食べたい」といったことと相対的には同じです。そして、「今晩は鶏の唐揚げが食べたい」のなら、そのための買い物をするか外食するためのお金を用意するか、いずれにせよ、その準備をすればよいのと同じように、その準備をすればよいだけです。もちろん、その準備をしたからといって一流企業に就職できるか、あるいは探検家になれるかは分かりません。しかし、必要な買い物をしたからといって、必ずその晩に唐揚げを食べられるか分からないのも事実ですし、それがどうなろうとあなた以外の人間の知ったことではありません。
かつてマーチン・ルーサー・キング牧師が演説の中で「私には夢がある」と言ったとき、それは自分の願望をただ他人に公表してみたということではなく、自分が正しいと考えている未来像、すなわち全ての人種に属する人々が平等に扱われる未来の姿を他の人々にも共有してもらおうとしたのです。あなたが夢と言っているものも、たんなるあなたの願望ではなく、あなたが他の人々と共有したい未来像であるべきです。もしあのときキング牧師が続けて「私は王になりたい」と言い、そしてそれが人々に共有されて「そうだ私も王になりたい」と考えたとしたら、彼の言葉は人々の記憶に残ったでしょうか?
そこであなたに考えてほしいのは、今のあなたに「他の人々にも共有してもらいたいほどの未来像」を描くだけの力があるのかどうかです。本来、大学とはそうした力を身につけるための学びの場であるはずでした。そのとき、「でも大学なんて専門学校が一回り大きくなっただけじゃないか」とか、「でも他の人々は自分自身の願望を叶えるだけのために一生懸命になっているじゃないか」とか、考えてしまうのなら、あなただけが苦労して大学で学ぶ必要はありません。自分の願望を叶えるだけのために一生懸命に残りの時間を過ごされてはいかがでしょうか。 -
教員
人文学部
こんぺいとうの作り方を知っていますか?
ちいさな砂糖の粒を中心にして、少しずつ砂糖の蜜をからめて「雪だるま」方式で転がしながら、大きくしていく過程を見た人は皆その不思議な可愛いさとたのしさに息をのみます。
時間をかけていろんな色や味のこんぺいとうが出来上がります。
皆さんがこれからこの大学で見つけられるのが「夢」のカケラ。一片のほんのちいさな砂糖のかけらを見つけたら(ウルトラナノサイズでもOKです。大小は問いません。)すこしずつ砂糖の蜜衣をからめて、徐々にこんぺいとうの形に近づけてゆくのです。
全ては一粒の小さな砂糖のかけらから始まります。(注1)
いろんな色が混じるでしょう。味だって一様ではありません。
心配しないでください。味見して、他のがいいなぁと思ったら、また次の砂糖のつぶを見つければいいだけです。
ある心理学者は言いました。
「何かをやってみたい」と思う気持ちはそもそも自分の中には存在しない。
全ては「自分以外」の誰かや何かに出会うプロセスの中で生じてくるものであると。(注2)
これからあなた方がその何かや誰かに出会い、小さな夢の一粒を見つけることを私たちは全力でサポートします。
注1)まずは「夢」は人生のオプションなので、あってもなくてもいいという立場からスタートしましょう。一粒の砂糖のかけらが見つかったらラッキーくらいの気持ちで、砂金でなくてもいいのです。黒砂糖でも白砂糖でも三温糖でもいいのです。メープルシュガーだってあります。
注2)「友人」のテーマでの問いかけがありましたが、誰かに出会う/出会わないも人生の選択肢のひとつです。solitude(孤高)とloneliness(孤独)くらいの違いです。
Longman English Dictionaryでの定義はそれぞれ以下のとおりです。
一人を楽しむ
一人を悲しむ
どちらを選ぶかはお任せします。
往年のハリウッド女優は、晩年のインタビューで「友人も家族もいない日々をお過ごしで寂しくはないですか?」と聞かれ、妖艶に微笑んで言いました。
「Solitude is my best friend.」(独りは最高の贅沢よ)