清水 貴夫 SHIMIZU Takao
- 専門分野
-
文化人類学 / アフリカ地域研究
- 所属
-
- 国際文化学部 グローバルスタディーズ学科 国際文化専攻
経歴・業績
明治学院大学国際学部卒。民間企業、NGO職員を経て名古屋大学大学院文学研究科博士課程後期満期退学。総合地球環境学研究所(「砂漠化をめぐる風と人と土」プロジェクト)研究員)、広島大学教育開発国際協力研究センター研究員、総合地球環境学研究所(「サニテーションの価値連鎖の提案:地域のヒトに寄り添うサニテーションのデザイン」プロジェクト研究員)、京都精華大学アフリカ・アジア現代文化研究センター設置準備室・研究コーディネーターを経て、現職(総合地球環境学研究所客員准教授を兼任)。 研究のキーワード:西アフリカ(ブルキナファソ、ニジェール、セネガル)、子ども、イスラーム、教育、食文化、環境(砂漠化問題、サニテーション)
メッセージ
私の研究のフィールドは西アフリカです。私がこの地域について学び始めたころ、社会、文化、政治、習慣…と、私たちが暮らす日本から最も遠く、日本語の情報の少ない地域で、この地域について学ぼうとしても、本当に資料の少ない地域でした。そのため、私が見聞きしたもの、そのものが「新しい」ものであることが多く、また、数少ないこの地域の専門家として様々な分野の方と交流するうちに、私自身の中心的な研究テーマである子どもの問題以外に、環境や食文化、トイレの問題と、多くのテーマに関わってきました。一見、直接関係のない領域をバラバラに研究していきたように見えるかもしれませんが、人間の生活全体を理解しようと思ったとき、こうした部分が繋がり合い、相互に影響を与えながら(時に反発しながら)形成されていることがわかります。
ここでは、その中で中心的な研究テーマである、「子ども」の研究について書いてみたいと思います。「子ども」というのは、UNICEFによれば18歳未満の小さな人間のことを指します。しかし、面白いことに、私たち自身が必ず通ってきた子どもの時代ですが、よほど強烈な思い出でなければ、子ども時代にどのように考え、感じていたのかは正確に思い出せないません。ですから、子どもの行動は時に突飛に見えますし、理解に苦しむこともあります。つまり、「子ども」は私たち「オトナ」とは異なった存在(「他者」)だということができます。そして、異なるがゆえに、私たちは「子ども」のことを客観的に見ることができるのではないでしょうか。客観的に子どもたちを見ることで、私たちがどのように育ってきたのか、これからの子どもたちはどのように育つのかということを、「こんなオトナになってほしい(なるべき)」という目標を定めずに、見ていくことが私の視点です。この視点は、文化人類学という学問領域から紡ぎだされています。
文化人類学という学問の調査は、主に調査対象となる社会に入り、対象者と同じ生活を送り、その社会について学びます。私もブルキナファソという国で、いくつかの立場から現地調査を長く進めています。その中で、私が最も深くかかわってきたのがストリートの子どもたちです。私は、この調査を通して、子どもたちの成育と環境、近代とは何か、だれが子どもたちを「ストリート・チルドレン」という枠組みに押し込めたのか、そして、私たちのイメージがいかに後付けのものであるかを問うてきました。この問いを表す一つの例を挙げてみます。
私がこれまでに接してきた子どもたちの多くは、「ストリート・チルドレン」と呼ばれる子どもたちです。一部女の子もいますが、多くが男の子ですので、ここでは「彼ら」と呼びます。最近では、路上生活をしている子どもだけが困難な状態にあるわけでないこと、また、それ自体を過度に強調しないようにするために、あまり「ストリート・チルドレン」という言葉を使わずに、「困難な状況にある子どもたち」という表現を使います。私の調査地であるブルキナファソに行くと、物乞いをし、路上でたむろう、私たちの「ストリート・チルドレン」のイメージ通りの子どもたちを目にします。彼らは、悲しそうな顔をして道行く大人たちに手を差し出し、おカネや食べ物をねだり、どうやら「貧しい」そうなことは確かなようです。ですが、彼らが、家庭崩壊の末、行き場所を失った極限状態にあることはそれほど多いわけではありません。例えば、多くの子どもたちが、実家の農業が忙しくなる時期に実家に戻って農作業を手伝い、それが終わるとストリートに戻ってくる、という、出稼ぎ労働者のような生活サイクルを見ても、子どもが家庭から切り離されているわけではないことがわかると思います。確かに、この国の農村部は経済的に決して裕福であるとは言えず、歯切れよくこのことが断定できるわけではありませんが、私たちとは、親子の関係や子育ての環境が大きく異なる以上、一旦この社会の慣習を確かめる必要があるでしょう。
さて、ある年のこと。ブルキナファソ政府がこうした子どもたちを一掃する計画を実施しました。一掃する、といっても、彼らを単に排除するわけではなく、彼らを施設に収容し、そこで教育を受けさせたり、自活できるように職業訓練を施そうとするものでした。8月のある夜、そのための子どもたちを施設に収容する作戦が実施されました。しかし、この作戦はうまくいきませんでした。ほとんどの子どもたちが、1週間ほどで施設を脱出してしまったのです。
施設を脱走した子どもたちがどうしたでしょうか?まず、彼らは町外れに「借りた」家に逃げ込み(おカネがあることがわかります)、そこで2-3週間を過ごし、政府の作戦が一段落したころに再びストリートに舞い戻り、元の生活を営むようになりました。街に舞い戻った子どもたちにインタビューをしたところ、口々に述べられるのは、施設での食事の不味さ(つまり、ストリートの方がおいしいものが食べられる)、教育や職業訓練が受けられると聞いていたのに(教育を受けたいという意志がある)、サッカーなどばかりやらされていたこと(遊んでいられない)、ということでした。
実は、こうしたアフリカにおける「ストリート・チルドレン」問題の文脈におけるNGOや公的機関と子どもたちの関係は、UNICEFのレポートをよく読むと10年以上前から指摘されてきました。しかし、こうした状況を正面から考えてきた人がそれほど多かったわけではありません。誤って貧者に鞭打つことを恐れたのかもしれません。しかし、改めて考えてみると、ストリートの子どもたちのふるまいやストリートにおける生活からは、子どもたちの生育、教育の本質的意味、家族、本質的な貧困問題といった、私たちが日常にある深刻な問題にまでひきつけて考えるヒントがちりばめられています。先に述べた、部分の集合体としての全体がジワジワと浮き上がってきます。
私にも、ストリートの子どもたちをどのようにすればよいのか、また、もっと一般的な意味においての子育てや教育、私たちの生活がどうあるべきか、ということはわかりませんし、きっと一つの正解などはないのではないかと思います。大学以降における学びや研究は、このように、確たる正解のないものがほとんどです。様々な本を読み、人の話を聞き、批判を受けて自分の意見を再考する。こうして「より善い」答えを求め続けていくことが大学での学びですし、また、いずれ皆さんが働く「社会」の発展の原動力になるのです。この作業は、時に砂漠の中の一つの石を探すようなものであることもありますが、意外なところで面白いことに見つかることがあります。その時の喜びはいいオッチャンになった私ですら胸躍る気分にさせてくれます。こうした気持ちを多くの皆さんと共有できることを楽しみにしています。