VOICESfrom SEIKA
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在学生
芸術学部
自分もあなたと同じように、友だち付き合いが面倒臭くなって1人でいたい時があったり、親友と呼べる人はいないなぁと感じることはたまにあります。
友だちがいなくても生きていけるけど、その繋がりを持っているかいないかとか、繋がりの量で今後の人生が大分変わってくることは確か。選択肢が増えたり、質とかも大分。(だからって無理に嫌な人と付き合いを持つ必要は絶対ないけどな。)
自分だったら、空気を読まないと、とかLINEをすぐ返信しないと、とかそれに振り回されるくらいなら、それを気にしなくていい環境に移動するかな。過ごしやすい環境は自分で作らないと。
大学にはあなたと同じような価値観を持ち合わせて居る人はそれなりにいると思うので、気は楽に付き合える友だちが出来る可能性は十分にあるんじゃないでしょうか。
まあ、気楽に大学生活を過ごして下さい。 -
教員
デザイン学部
私はプライベートで作り笑いをするのが嫌なので、一緒にいて楽しい人と一緒にいるようにしています。面倒になったら一人になります。楽です。離れていても信頼している友だちは何人かいます。世界に人はたくさんいるので、きっとどうにかなります。 -
教員
人文学部
これは私の考えでしかないので、他の考えがあってもいいと思うので、そのつもりで書きます。
まず、私は、「友だち」のかたちは、ひとつではないって思っています。
たとえば、あなたが「いま、自分はひとりでいたい、そっとしておいてほしい」ときに、「それもありだな」と思って、そのあなたの思いを尊重してくれる友だちであれば、別に「いてもいい」のではありませんか。
あるいは、あなたが「誰かにそばにいてほしい」と思うときには、さりげなく、そばにいてくれるような、そんな友だちも、別に「いてもいい」のではないかと思うのですが。
その一方で、空気を読んだり、LINEをすぐに返さなければいけないとか、そういうややこしい気遣いばかりで疲れるような相手は、ほんとうにあなたにとって大事な友だちなのでしょうか?
あるいは、自分自身がホンネでぶちあたっていけないような相手も、ほんとうに大事な友だちなのでしょうか?
こういうかたちで考えていくと、「友だちって本当に必要?」という質問の仕方よりも、もしかしたら「私が私らしく生きていく上で、大切にしたいと思えるような友だちって、どういう人なんだろう?」という風に質問をしたほうが、何か、解決策、解答が見えてくるかもしれませんね。
また、その解決策、解答も「私が私らしく生きていく」ことを軸にして考えればいいので、たとえば高校生のときの私、大学生のときの私、就職してからの私、年老いてからの私・・・というかたちで、その時々の「私」の姿にあわせて、いくつもの道筋があってもいいのではないかと思います。
ということで、いま、高校生のあなたは、あなたがあなたらしく生きていく上で、どういう人を大事な友だちだと思って、大切にしたいと思いますか?
一度、こんなかたちで考えてみてくださいね。 -
職員
事務部門
大学に入るといろいろな人に出会う機会があります。
あまり、深く考えすぎず、一緒にいて楽しい人、一緒にいて楽な人を探すのがいいのかなと思います。
大学時代は、いやな人と付き合わない自由もあったりします。
でも、「友だち」も「友だち」を求めてるかもですよ。
何かを求めるなら、何かを与える関係が「友だち」かなと思います。
友だちが助けを求めているときには、面倒なので反応せず、助けてほしいときには友だちだから当然たすけてくれるよね、だとなんだか上手くいかない感じがします。
自分のしんどいときにも、助けてあげたいと思う人と出会えるのが一番ですが、しんどいときに助けを求めてみたり、相手が助けを求めて来たときにできることで何か動いてみたら、新しい関係が生まれるかもしれません。そのときに、いやな反応なら距離をとればいいです。
そんなことを繰り返しているうちに、いつか何でも話せる友だちができてくるかもしれません。そんな感じで気楽に考えて、毎日の出会いや、人との関係を楽しんでほしいなと思います。 -
在学生
マンガ学部
私は17歳の頃ある出来事を境に人間関係を築くことを断ち、ぼっちになりました。それから、昼食のときもみんなが誰かと仲良く食べているなかで1人で食べることは嫌で、寒い部室で1人、誰かが来ることを恐れながら昼食をとっていました。本当に辛い日々でした。
大学生になった今、私は京都で一人暮らしをしています。友人は変わらず1人もいません。履修科目や大学の仕組みなど慣れてなくて分からないことなどは、友人がいたほうが確実に有利だと思います。私の実感としては、高校より大学のほうが教室という縛りがなくてぼっちだとしても浮くことはありません(大学によります)。また、一人暮らしとなると本当に喋ることは無くなります。snsがあれば世界と繋がっていると錯覚できるのですが、ふと自分に空虚感を感じて本当に死にたくなります。
ぼっちの目から友達のいる他人を見ると、ぼっちである自分を否定したくなくて、友達がいる他人を心のどこかでくだらないと思ってしまいます。そうしてどんどん性格が悪くなって、人間不信になります。ぼっちは人と合わせて行動することはなく、その悩みにおいてはありません。しかし、ぼっちになったからといって人生が自由になって楽しくなるということは絶対にありません。むしろ視野が狭くなってくだらない自分の世界に浸り続けて井の中の蛙になります。そして自分が蛙であると気づいた今、無力な自分が世界で一番嫌いです。
一方、少なからずうわべだけの友人がいるというのは、ぼっちの人間と比べると人生は180度違うと思います。たとえ少なくても、うわべだけの関係でも、人脈は大事です。社会人に近づくにつれて、人脈や人と関わることは大切だとひしひしと感じています。
人間関係は本当に辛く、一生苦しむものだと思いますが、親友がいなくても、友人を気遣うことが面倒くさくても、それでも一緒に行動できる友人がいるということを誇りに思ってください。 -
在学生
芸術学部
あなたが必要だと思っているからこその質問だと思います。いないよりはいるほうがいいと思います。行動あるのみです。 -
職員
事務部門
「友達」はいたほうがいいと思います。ただ、一緒にいて「ひとりの方が本当は気楽」と自分が思ってしまう人達は「友達」ではなく「知り合い」です。そもそもLINEの返信が遅い程度で関係が悪くなるような人達は「友達」ではありません。残念ながら学校は狭い世界なので「知り合い」とも上手く付き合わなくてはなりませんが。
小学校から中学校、高校と自身の世界が広がったように、これからいろんな人と出会う機会がどんどん広がります。今は「友達」がいなくても、これから心を許し合える「友達」と出会えるかも。
世界はひろい。
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在学生
マンガ学部
大学生になっても人間関係には悩み続けます。多分、一生悩み続けます。ただ大学は一人でいても他人は何も思っていません。自分で思っている以上に他人は興味ありません。それでも友人はいた方が楽しいです。ここでの友人はなんでも話せる友人ではなく大学4年間の友人です。あなたの言う親友は人生を賭けて見つければいいのです。そう急いで見つけるものでも見つかるものでもはありません。ここまで言っておいてなんですが、あなたが不必要だと思うものは捨てれば良いのです。いらないものをたくさん持っていてはここぞというときに手に入れることはできません。どうか自分を信じてあげてください。 -
在学生
デザイン学部
自分が人間として生きるためには必要不可欠だと思います。物(スマホやおもちゃなど)によって楽しさが生まれたりしますが、"人間"からは物からとはまた違う、1つ1つ異なった"楽しさ"がいくつも生まれます。その人間から生まれる楽しさが生きる活力になるとも考えます。
しかし、その"楽しさ"が生まれるのはお互いに礼儀と好意を持った時なので「友達をつくる」と考えるのではなく、「楽しませる」という気持ちを持って人に関わっていけば「友達は必要?」と考える以前に大切な人が周りに自然とできるはずです。 -
教員
マンガ学部
友達は、いるといいんじゃないかなと思う。ところで、あなたの言う友達ってどういう存在のことだろうか?クラスや部活が一緒?趣味とか好きなものが同じ?
子どもの頃って、何かが「同じ」や「一緒」な人がいつの間にか友達ってことになっている場合が多い。それは子どもにとって自然なことで、同時に、子どもは「ちがう」ことに過敏で簡単に排除したりもする。だから無理して合わせたり、空気を読んだりする。これは結構、いやだいぶしんどい。
でも「友達」って本当はもっと幅が広いんです。とりあえず、大学生の時期には、上手くすれば「ちがう」ことを愉しめるようになってくる。そうすると「自分とちがうからこそ友達」なんて存在が出てくる。
それはあなたにとってどんな存在になるだろう?ライバル?尊敬できる相手?斬新な視点をくれる人?理解者?いずれにせよ、どんな存在を「友達」と呼ぶのかは、あなたが決めていい。一度しか会ったことない親友もいれば、毎日会うただの知人もいる。あなたは、どんな存在を「友達」と呼びたいんだろうか。
そしてもう一つ大事なことは、そういう「友達」に対してあなた自身はどんな存在でありたいか?ということ。私はよく「友達に恥ずかしくない自分でありたい」と思う。何年も会わなくても、もう会えなくても、その気持ちは自分に力をくれる。そういえば私にとって「友達」と「尊敬respect」は常にセットなのだけど、誰かへの尊敬は、自分にとってエネルギーになる。つまり私の場合だと「自分に力をくれる関係」が「友達」なんだけど、そんなふうに、いるといいんじゃないかなって関係こそが「友達」なんじゃないだろうか。
もし自分からエネルギーを奪う関係なら無くてもいい。ただし、その関係がそもそも「友達」なのかどうかは、あなたが考えて決めることだ。考えて主体的に選ぶ孤独は「ぼっち」なんかではない。そうして、もし人生に好きな人や尊敬できる人が現れたなら、その人とどんな関係を築きたいか、その人があなたにとってどんな存在で、あなたはその人とってどんな存在でいたいか、きちんと考えるといいと思う。そうやって考えて築いた関係が「友達」という名になることはある。けっこう生きる助けになる。 -
在学生
デザイン学部
本音で話せる友人は一生の中で一人か二人、見つけられたらいいんじゃないかな。焦らなくても大丈夫。友達と一緒にいることで悩むこともあるけれど、そのぶん、一人では感じられない楽しいことも沢山あると思うよ。人間関係に疲れてしまったら無理することはないけれど、友達といる時間、一人の時間、両方大切にしていったらいいと思うよ。一度しかない高校生活楽しんで! -
職員
こんにちは。気持ちを打ち明けてくれてありがとうございました。
人間関係ってめんどうくさいですよね。でも、相手を傷つけたり、嫌な思いをさせたりしないように、気を遣えるあなたはとても優しいひとなんだろうなと思いました。
人の気持ちを慮ることができるのも、ひとつの素晴らしい能力だと思います。
さて、「友だちが必要か」、私の学生生活を振り返って考えてみました。
私も高校生のときはクラスメイトからはみ出さないように、同じものを可愛いと言って、乗り遅れないように同じ雑誌を読んで、そんなことに一生懸命だったなと思います。自分の本音や本当に好きなもののことは、あまり話せなかったし、分かってもらえないと思っていました。
大学に入って、同じ授業を受けていた子と仲良くなりました。
その子は音楽が大好きで、ギターを弾くのが趣味で、いつも自分が一番好きなバンドのことを熱っぽく語っていました。
私はそのバンドのことをそんなによく知らなくて、でも話を合わせたくて何曲か聴いて「あの曲いいよね」って話していました。
嘘をついてるつもりでもなく、その子と仲良くできるのが嬉しかったし、その子が好きだと話している音楽を、だんだんと好きになっていく気がしてたんです。
でもある時、その子に「あなたが本当に好きな音楽はなに?」と質問されました。私が合わせていたことは、すっかり見抜かれていたようです。
私が本当に好きな音楽、その友人と同じ熱量で語れるほどの好きな音楽、正直思いつきませんでした。
そこで初めて私は、自分の好きな音楽がどんなものか分からない、ということを知ったのです。
私はそれまで、自分のことは全て分かっているような気がしていました。自分で自分のことがわからないなんてあり得ないと思っていました。
でもそうではなかった。
答えられなかったことがショックで、自分がないみたいで恥ずかしくて、それからたくさん音楽を聴きました。
結局、本当に好きだと思える音楽に出会ったのは、それから2年後、大学3年生の時でした。
そんな感じで、私は友人と話しているなかで、自分の本音に気づく機会が大学生活中に何度もありました。
今でも、ひとりの時間だけでは気づかない自分の意見があることを日々日々実感しています。
(反対にひとりじゃないと気づかない自分もいます)
「友人はいないといけない」ものではないし、「友人がいないのはかっこ悪い」なんてことは決してないと思います。
でも時には友人という存在が、自分の知らない自分を引き出してくれることもある。
一般論では決めつけられないけれど、少なくともあの時の私には、友人は「必要」でした。
私はこの京都精華大学の出身で、そんな大学生活を送りました。
今だって人間関係を難しく思うこともあるけれど、本音で話すことは、高校生のときほどこわくありません。
あなたがこの大学で、あなたにとって「必要」な出会いに恵まれることがあれば、何より嬉しく思います。 -
在学生
ポピュラーカルチャー学部
社会的に上手に生きていくには嘘でも嫌いでも、一緒にいる友達が必要です。
その中で1人か2人心から信頼出来る友人が出来たらいいのでは無いでしょうか。
友達がいなかったら今の時代は社会的にも価値が薄くなったり将来的にも道が見えづらくなると思われます。 -
在学生
デザイン学部
僕としては友達は必要。いて損は無い。
友達だからといって必ず自分の本音や隠し事を全て話す必要はない。誰にだって言いたく無いことの一つや二つある。僕にもある。それらを話せる存在が出来たら最高。
友達と思っているなら、空気を読まないといけないとかLINEをすぐに返さないといけない(内容にもよる)とか考える必要はないと思う。
中学や高校での友達よりも、大学で出来た新しい友達の方が同じような目的・志で大学に来てることもあり、本音で話すことのできる友達になる可能性は高いと思う。 -
在学生
デザイン学部
友達は必須必要な存在ではなくとも、日常に色を添えてくれる存在ではあるとおもいます。
美術も同様で日常に必須ではないですが、永遠にも感じられるいつも通りの日常に色を添えてくれる存在です。
友達という存在もおなじではないでしょうか。
関わりを持つことで、あなたが日常に色を添える存在になり色を添えてもらう存在となる
それは刺激的な色であったり薄暗い色かもしれません
あなたの中に答えはあり
この文によりあなた様がその答えに近づけると私はとても嬉しく思えます
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在学生
マンガ学部
心が通じれる友達がいると、人生は何倍も楽しいですよ。本音全然話せるし、やりたいことがあって誘ったら、全然付き合ってくれるし、もちろん相手にもやってあげる必要があります。しかし、心が通じる人なので、やりたいこと、考え方は違うかもしれないが、根のところは似てるです。だから、一緒に何をやっても楽しいですよ。一番難点なところは心が通じる友達を見つかるのは本当に難しいです。でも世の中に絶対います。こんな人に出会うために最初から友達作りを諦めると見つかるチャンスがゼロになってしまいます。これから自分からチャンスを作ってください! -
在学生
ポピュラーカルチャー学部
友だちはこれから先ずっと必要だし、友だち付き合いは誰にとっても難しいものだと思います。
でも、無理に一緒にいたくない人と仲良くする必要はないと思います。私も小中高大学時代にそれぞれ一人ぐらいしか仲の良いと思える友達はいませんでした。でも多くの人がそんなものだと思います。何でも話せる友達なんて一生に一人見つかるかどうかというくらいだと思います。
とりあえず、絶対に一人では生きていけないので、上部だけの付き合いでも良いので軽い関係で続けて、いつか深く関われる友達が見つかったら良いのではないかなと思います。
応援しています。 -
在学生
マンガ学部
私はいる方がいいと思いますよ。その方が楽しいですからね。喋りすぎて課題が進みませんが、友達といる時の方が楽しいです。また、課題等で行き詰まってしまった時にもしかしたら打開策を提案してくれるかも知れませんから、持っていて損は無いと思います。自分も最初は「余り必要ないかな?」と考えていたりしましたが、やっぱりいた方が楽しいです。 -
職員
芸術学部
大学では、あなたがいま感じているその「めんどうくささ」を共有できる人間と出会える可能性があります。
根本的に他人とのコミュニケーションは「めんどうくさい」ものですが、あなたの感じている「めんどうくささ」を共有できる人間との
コミュニケーションはこれまでとは少し質の違う「めんどうくささ」になると思います。それがもしかしたら“友だち”かもしれません。
そしてその“友だち”との「めんどうくささ」は案外気持ちのいいものだったりします。 -
在学生
芸術学部
大学生活の中で一番大事なことは、「自分がどうしたいか」だと思っています。
大学では、どの授業を受けるか、どんな風に課題に取り組むのか、自分のことは自分で決めていくことになります。
せっかくの自分の人生なのに、他の人の意見に左右されていてはもったいないですよね。
私は「自分がどうしたいか」をしっかり持っていて、生き生きと大学生活を送っている人と話したいし、一緒にいたいと思います。
友だちは本当に必要なのか?というご質問でしたが、自分が自分でいられないような人とはあえて一緒にいる必要はない、というのが私の意見です。
ただ、お互いに「自分がどうしたいか」をちゃんと持っていて、いい影響を与え合える「友だち」は、あなたの人生を本当に豊かにしてくれるはず。
自分の選択に自信を持ってしっかり立っていれば、きっとあなたの周りには同じような人が集まってきて、いつの間にか大事な「友だち」が増えていくと思いますよ! -
在学生
マンガ学部
私は高校までの友達はそこそこ居ますが大学には友達1人もいませんよ。あなたの言うとうり友達付き合いが面倒なので敢えて作らないようにしてます。もしこの人と仲良くなりたい!って人と出会えたら良いですがわざわざ無理やり仲良くすることはないと思います。大学でぼっち怖くないですよ。私は大学での青春や友情を完全に放棄して授業や課題に専念して評価Sハンターやってますが大学の楽しみ方は人それぞれです。友達や恋人は課外でも出来ますよ〜お気楽に -
職員
事務部門
大学では高校までよりも1人で行動することが多くなると思います。
1人だと制作や研究に打ち込めるので、友だちがいないのも案外いいかも。
でも、孤独は心を蝕むことがあるようです。
(寂しいのは別にいいなと思っています。寂しさは人を強くしてくれることもあるので。私はわりと好きです)
無理に「友だち」と名前をつけなくてもいいので、うつむかずに顔をあげて、周りの人と向き合って過ごしてほしいなと思います。 -
在学生
芸術学部
まず、量より質だ。
正直な所、一緒に居ても、常に空気を読む必要があったり、顔色伺って合わせる必要があったり、慎重にに言葉選んたりとか、そう言った関係の浅い友人は自然に出来てしまうし、自分に必ずしも良い影響を与えれくれるとは限らないので、特に気にする必要は無いと思う。
勿論社会人になったら簡単に切り離せ無いが、まだ学生なので、そういう付き合いに疲れを感じたら、無理してやる必要は無いと思う。
大事なのは、人生で少なくでも良いので、1人や2人ぐらい本心を話し合える友達を作る事。
たまに意見の相違で喧嘩したり、冗談言い合ったりもするし。互いの欠点や癖をを認め合いながらも、本心をぶっちゃけられたりもする。
お互い、助けが必要になると、真っ先に手を伸ばせる、伸ばしてくれる。一緒に泣いて笑ってくれて、背中を推してくれる、そんな気の合う方に出逢えた時は、一生もんの友達なので、絶対に大事にした方が良い。 -
在学生
マンガ学部
おそらく多くの人があなたと同じ思いを持ったいるはずです。私は、大学に入ってからはひとりでいることや、友達の目を気にすることが少なくなりました。大学には今までとは違う環境があって、誰もが自分の生きたいように生きているように感じます。
友達は必要かと聞かれれば必要だと思います。
助けてくれる人は作っておいておいた方がいいと思います。そして、自分も多くの人を助ける行動をして味方を多く作っていくのはどうでしょうか?ただ嫌々付き合うのではなく、なぁなぁな感じで、深いことは考えずに付き合ってみるのもいいと思います。案外受け入れてもらえると思います。
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教員
マンガ学部
まぁ、いて悪いものではないと思います。私もそれほど人付き合いが得意な方ではなく、友人との付き合いが「面倒だな」と思うことも正直あります。友人には悪いですが…。高校生や大学生の頃は友達の数っていうのは、クラスや個人的なコミュニティにおける重要な指標のひとつで、そのヒエラルキーの中での自分の位置を決めてしまうもののように思えてしまいますが、実際はそうでもありません。あなたが本当に友達付き合いが好きで、数多くの人と関わって色んな体験がしたいと思うなら、たくさん友達を作るのも良いでしょう。逆に自分ひとりの時間を大切にしたいとか、友達との様々なやり取りに疲れてしまうというのであれば、無理に過剰な友人関係を維持しようとしなくても良いと思います。自分の生活リズムやプライベート等を考え、身の丈に合った(またそれを理解してくれる)友人関係を作り上げれば良いでしょう。相互に相互の生活や趣味などを尊重して、ズカズカと個々のプライベートな時間に踏み込んでこない友人こそ本当の友人であると言えると思います。そういった友人を少数でも幾人か持つことができれば、人生はより充実してくるのではないでしょうか。 -
教員
デザイン学部
友達。自分のことをよく理解してくれている友人は2、3名は必要です。困ったときに相談したり、嬉しい時に一緒に喜んぶ相手です。それ以外の知り合いは適当につきあっていたらいいと思います。この、「自分のことを本当に理解してくれる、なんでも言うことができる友人」と巡り合うことは、実は大変なのですが、共に苦労をすること、例えば大学で一緒に同じ課題に取り組む仲間、サークル活動に取り組む仲間たちの中で出会うことが多いので、大学生活に期待しましょう。私には友人は3名います。 -
職員
私は、ほんとうに気の合う人とだけ、いるようにしてからのほうが、とても楽でした。 私も大学入学当初は、友達たくさんいたほうが何かと得だし、ハブられたくないと思っていたけれど そこに費やす時間も、お金も、気遣いも、どうしたって増えていきます。 「ずっと一緒」がデフォルトになると、 そうじゃないとき、不安に駆られることもあると思う。 大学生になるときに、せっかくだったら 「すっと一人になる」ことを恐れない自分になってみる、勇気を持ったらどうだろう。 あなたと同じこと考えている人は、必ずいるから。 天気がいいから、お昼休みは散歩をしてこよっかな、 今日は体調があまりよくないから、休み時間はちょっと仮眠とろっかな、 そうやって、ほっとできる時間を持つことを、自分に許してあげてほしい。 そんな自分でいられるよう努力をしていたら、 同じようにそれを大切にする人たちと、自然に仲良くなれるから。 -
教員
芸術学部
一人が好きになるのが大学時代。友達が少なくなり、その中から一生付き合う仲間ができます。1年に1度しか会うか会わない友達でも心が通じ合っているのが分かるようになります。大学時代、一人で制作しているうちに分かってきました。体験談です。 -
在学生
芸術学部
めんどうですよ。確かに。
LINEをしても返ってこなかったり遅かったりスルーされたり。
自分はしっかり返して反応しているのにどうしてあの人は…なんて風に思うことはしょっちゅうですよ。
こんなに風に書いてる僕は友達いらなさそうですよねw…でも僕には友達が必要です。
こう言う愚痴を言えるのも友達にだけですから。それにこいつ嫌いやしもういいやって思える人は友達にしてません。喧嘩しても気に障っても仲良くしてたいと思える人だけを友人として大切にしています。そう思える人があなたにいないのなら友達は必要ないのかもしれませんね。
相手にどう思われているかを想像することは大事ですがそれを主軸に人間関係を築いていくといつか崩れますよ。 -
在学生
人文学部
スナフキンです。
僕は人から離れてみることを君に勧めてみます。
もちろん勇気のいることです。そして一人でいることは確かに孤独です。寂しいです。
僕も君と同じように一人でいると逆にめんどくさい、嫌だなって思ってた時期もありました。
でも、いざぼっちになってみるとそんなに悪くないです。むしろ、僕はぼっちになったことで新しい着眼点と発見に出会えました。
〜僕の体験談から〜
僕はぼっちという経験からいつの間にか孤独や不安で悩んでる誰かに手を差し伸べたいと思えるまでになっていました。
どういうことかと言うと、自分の心の苦しさや孤独の痛みと日々葛藤しているうちに、同じ様なことで悩んでいる人たちに近づいていたというわけです。
自分の悩んでいることって大体誰かも悩んでいることなんです。
だから、心の苦しさや孤独の痛みと葛藤することは決して無駄なことではありません。実は自分と誰かに誠実に向き合っている時間なんです。
僕の場合は、こういう日々があったからこそ、そういう誰かを自分のことの様に考えられるようになっていました。
ある時、僕がある人と悩みや苦しみを包み隠さず共有した時、今までにちょっとなかった関係が生まれたんです。
お喋りするだけの仲の人とは違います。例えるなら「私とあなた」の関係です。俗に言う「信頼関係」です。
こういう信頼関係が築くことが出来たのは、やはり「ぼっち」という下地があったからだと僕は思っています。
「人から離れることで、本当の意味で人を知り、思いやることが出来るようになる」
こういう考え方もあるということを君に伝えておきます。参考になれば幸いです。 -
在学生
芸術学部
意外と必要...っていうか、京都精華大学に入学したら勝手に友達できますよ。協力する授業が沢山あって、先生もとても協力的で授業に参加すればするほど友達が増えていきました。学部とか関係無しに友達ができましたし、授業が終わった今でも見かけたら声をかける程度には仲良しになりました。 -
在学生
人文学部
友達は無理に作らなくていい!
類は友を呼ぶと言う言葉通り。自分ににあった友達が自然と付いてくるから、将来的に素敵な人に出会えたらそれで十分だと思います!
出会った人を自分が思うがままに大切にしていれば、自然とつく人はつきます!
私は、高校生の時どのグループにも属していませんでした。大体は特定のお友達(2人〜3人)といることはあっても、大体は、その場その場で話したいことを話したい人と話すという感じでした。幼い頃から、人を選ばずに誰とでも話せるようにと母が言っていた事で、人を好き嫌いで分けずに、いろんな人がいるんだと言うことに面白いと感じる性格だった私だったので、、、。しかし、学校のイベントごとや遊ぶ時にはグループがないわけには行かないですよね、その際には少し寂しさを感じることがなくはなかったです。
だから、普段当たり障りのない性格の私でしたが、そんな時は割と積極的に友達を誘いに行ったりして。少し焦りを見せながら過ごしていたように思います。しんどいですよね笑
でも、そんな高校生活が終わればみんな大学の友達に変わったり。就職をした人は試験や資格で忙しかったりで、徐々に会わなくなって、最終的には知らず知らず高校の友達の中で会う人は定まっていました。
大学でも一応私はあるグループにいました。でも大学は取りたい授業を選択するので、そこで勝手に会う時間は減っていくし、一人暮らし組か実家暮らし組かサークルしてる組かで、自然と離れることも普通なのかなと思いますね!
そして、就職なんてしたら県外に出ちゃう友達もいるし、その時点でまだ会うことができる友達が自分の中の大切な友達だと思っていいと思うし、要するには友達は無理に作らなくてもできるという事だと私は思っています。 -
在学生
デザイン学部
「ぼっち」になるのが嫌な方なら必要だと感じます。
どんな話ができる相手かというのは人によって違いますし、同性じゃないとできない話、異性じゃないとできない話、またはトランスジェンダーの場合は自分と同じ嗜好の人じゃないとできない話、それぞれあります。
なので人によって話す内容は変えたりする事で相互的に自分の負担を和らげられる相手が友達だと思っています。
友達の定義というものは人によって違いますし、「常に一緒にいないと友達じゃない」という人や、「1人の時間と友達の時間は分ける」という人もいます。
その点を考え始めてから、私は友達について悩むことも最近は無くなりましたし、友達と過ごしたい時はサークル等のイベントに参加したり、食事に行く約束をするくらいの規模で楽しんだり話をしたりする事にしています。
大学に入るとますます人が増え、自分と合った意見の人が増えるので自然と自分のことを話したり、話してもらえたりしやすくなりますよ。 -
在学生
デザイン学部
イラストコース
あくまで体感ですが、大学は色々なところから色々な人が集まってきているので、高校までの人付き合いとはまた違ったものを要求されます。思いもよらないほど気の合う人もいれば、信じられないくらい嫌いになる人までたくさんです。その中でなんとかうまいことやっていこうとすると、時には柔軟な、言い方は悪いですが、嘘をついたり愛想良くしたりと、無難で波風立たないような対応が必要となることもあります。
ただ、全部が全部そういうわけではなく、例えばサークルに所属している人の中だったり、同じクラスの人の中だったりに、一人二人くらいは、本音で愚痴を言い合えるような、気の置けない仲の友人も自然とできるものです。そういう人たちを大切にしてさえいれば、あまり「友達を作らなきゃ!」と気負う必要は無いと思います。 -
在学生
人文学部
大学に入ってから現時点まで友達は誰一人としていませんが、特に何か困るということは無いです。
とは言っても、それは私が今まで友達があまりいなく慣れてしまっただけ、とも言えます。大学に行って一言も喋らずに家に帰るということが毎日続きますが、特に寂しいとかそんな思いはないです。SNSをしていれば常時誰かしらと話すことも出来ますし、家に帰って猫をもふもふしていると何もかもどうでも良くなります。
正直、友達がいなくても、自分の時間がとても増えるので私としては凄く嬉しいです。これは極端過ぎますが、友達と過ごす時間は私にとって無駄なもののように感じます。 -
在学生
ポピュラーカルチャー学部
大学は常に一緒にいるということがほとんどありません。なので無理に合わせなくて大丈夫です。お昼を一人で食べることもよくありますし、一人で食べている人は大勢います。自分の心地いい距離感を保って接することができるのでそこまで気を遣って生活することも、無理に友達を作る必要もありません。授業やサークルで自然と仲良くなれることが多いのでぼっちになることもほとんどないですよ。 -
在学生
マンガ学部
結論から「必要でもあるし必要でもない」です
いわゆる正解のない話なので重く考えない方がいいと思います
質問者自身に合った人付き合いを考えて実行に移した方が気苦労も減ると思います
もし、引かれたとして疎遠になったらそれまでの関係だと割り切る方が楽でいられると私は個人的に思っています -
在学生
人文学部
私は常に一緒にいる友人は居ないけど、なんでも話せる友人が片手分ぐらいいます。
こまめに連絡取り合うのが嫌いで一人の時間を重視するのでLINEも必要最低限のことだけしかやり取りしません。
その友人らと一緒に遊びに行くこともあまりないです。
でも、私はそんな友人らが大好きなので命をかけれます。そんな人が数人いるだけで私は満足してます。
大学では友人と言って差し支えない人は1人しかいませんが、常に一緒にはいませんし滅多に話しません。
授業のことやちょっとした世間話する程度の知人は数人居ます。
あなたが必要と思う関係を仲良くしたいなと思えた人と築けたらそれでいいと思います。
あなたが自分らしさを大切にした時、それを認めてくれる人が1人でもいればそれでいいと思いますよ。そこで関係が切れる人とはこの先どこかで関係が切れることがほとんどです。
なので、私は友達付き合いに気を使いたくないので積極的に友達を作りませんし、媚び売ったり合わせたりすることは無いです。
もし、こいつならって思える人が見つかったら、互いの距離感の妥協点見つけて死ぬまで仲良くすればいいです。
最悪、友達0でもそう簡単には死にません。
私からすれば、自分殺して生きてる方が嫌です。
他人に迷惑かけないなら好きに生きればいいと思います。どんな決断しても辛いことがあると思いますが、それが人生ですし、辛いことがあるから楽しいんだと思いますよ。
長くなりましたがあなたにとっての最適解、見つけられることを願ってます。 -
在学生
人文学部
友達が必要かどうか、それは明確に答えがあるものではないと私は考えています。
友人とは必要だから、作らなければならないという動機で生まれる存在ではなく、また長く付き合う間柄になることは稀でしょう。
そもそも求めているであろう『友達』という間柄は、意図や意識に関係なく発生し続いていくもの。自分が自分として過不足なく居られる在り方を受け入れてくれる、そして自分が受け入れられ蟠りなく付き合うことが出来る相手が何れ現れます。その時、きっと意気込んで友達になろうと思うことなく、気がついた時に友人になります。
その上で、友人というものを必ず要するとは言いません。しかし、不必要と切り捨てる必要も同等にありません。そういった余計な思考の先に、長く付き合う気の置けない友人というものは現れるでしょう。
しかし、だからといって何もせずに居れば自然とできるだろうと慢心しては駄目です。人との関わりを自ずから生むことなく生きていても、誰も関心は向けてきません。
もしも友達は要らないとまで思うことがないのであれば、自分もまた能動的にいる必要があることを忘れてはなりません。双方が共に働きかけることにより、作り出されものなので。
以上を踏まえた上で、自分の周りの状況、自分の考え、他者の考えを過不足なく柔軟に咀嚼し、必要か否かを改めて判断するのが最善の方法かもしれません。
誰かの判断基準で必要不必要を断じず、自分自身で思考することを忘れずに。
この話に限らず、どんな事にも当てはまる考え方だと私は考えているので、どうか一つの参考になれば幸いです。 -
在学生
人文学部
友達が必要かどうかは正直個人差があると思います。また、年齢が近い人だけが友達ではないと思います。
例えば、京都精華大学は先生と生徒の距離が近いし、先生の部屋に遊びに行ける時間があります。先生は面白い人ばかりで好奇心旺盛なので、あなたの本音も「面白いね」と笑って聞いてくれると思います。私がそうです。
同年代の友達の他に、本音で話せる「大人の友達」を作ることに挑戦するのも楽しいかもですよ -
在学生
芸術学部
なぜ『ぼっち』が辛いかというと共感する人がいないからだと私は考えています。
そのためなにか同じ物(たとえば制作、プロジェクト、サークルや部活)に熱中できる『戦友』や『仲間』は必要だと思います。
逆をいえば熱中できる物のない上辺な関係や気を使う友達ならいらないと思います。
友人がいないこと、つまりぼっちは寂しいことです。しかし何かに熱中できてさえいればぼっちかどうか考える暇はなくなり、日々は充実し、心の有りどころを見つけられるはずです。 -
在学生
マンガ学部
めんどくさい友達より合いそうな人を見つけるほうがいいと思います!楽だし!私は大学で友達がいませんがぼっちとしての人の目も気にならないし、授業は楽しいし最高ですよ。 -
在学生
デザイン学部
いないと虚無になるので必要